仮りの題 今日の気分

 今日の気分で書き始めよう。あの頃25歳から30まで自分の居場所のない感覚はどうしようもなかった。ただエンジンだけがブンブン回っているだけで、どこにも方向性が見つけられなかった。商売も金儲けも結構だが、それだけでは収まらない何かが加速していつも自分を襲っていた。何か手ごたえのあるもの、目標?みたいなものが、欲しかったがその仮定はあまりに陳腐で相手にならなかった。相手が欲しかったのだ。それは自分が壊れる、外される、破られるその体験にたいして、その掴みようのなさの虚無感に満ちた漂泊の精神にたいして、歯ごたえのある壁が必要だったのだ。その壁に向かって走り、飛込み激突し自分の骨を砕く、その傷みこそがその移ろいゆく精神が求めるものだった。

 能登の龍昌寺まで車を飛ばし、村田和樹さんと話をしてもらう。実際の行った行動はそれだけだ。繰り返し、龍昌寺を尋ねるに随って、自分の中の何かが変わっていった。少なくともこの不可解な自分を真っ当に相手にしてくれる人物に初めてであったのだ。あの当時の龍昌寺は賑やかでもあった。移り住んだ江崎家や板谷さん一家、和樹の家にも3人の子供がうまれ、総勢13人が厨で朝昼晩と食事をしていた時代のことだ。畑仕事を終え、食事を済ませ、子供を寝かしつけてから、夜の対話がはじまる。あの当時何を話していたのか、いまは全く記憶にない。録音でもとっておけばよかった。とにかく一体自分とは何なのか、自分と言える根拠はどこにあるのかと言った存在論的な議論や、禅的な議論、など徹夜で白熱した議論を繰り返していた。冬の3か月は雪のため、冬籠りをして勉強をする時間になっていて、その三か月の間は、話が始まると昼夜関係なくその議論は続いたのだ。時間が来たからとか、もう朝の4時だからとか、一切の制限が取り払われた議論だった。朝方までストーブの周りで、話し込み、そのまま寝込んで目覚めた途端に話が始まってゆくのだ。30歳のころのことだ、。ある時議論が白熱し、三日三晩つづき、自分のどうしようも無さだけがやけにハッキリとみえてい来たことが、あった。そう思った瞬間自分とは本当にどうしようもない存在だと思われ、追いつめられて自分は絶句してしまった。あのときの自分の精神の追いつめられ様をうまく表現することはできない。ただ闇雲に、目の前にあるものを手掴みで生きてきた自分のどうしようもなさ、生意気だけでふかしてきた自分、自信のなさ、どうにかうまくやり体面だけを作ってきた自分。前途洋々のはずが全く前が見えない自分。その自分の姿をちらりと見せつけられて、唖然とした自分がそこに居た。その時和樹さんがその自分に向かって、お前いいよな。、と言ったのだ。お前のその感じいいよなって。その言葉の衝撃を忘れられない。自分の悩んでいる頭の世界を透かして、通過して、胸元にすとんと落ちたモノがあった。その一言に僕の存在は救われたのだ。

 僕の存在が救われるというのは、僕という名詞でもないし、僕の思いでもない。自分の思いが破られて初めて見えてくるモノなのだ。モノに僕の思いは届かない、どこまでいっても伝わる事も、返事もない。 が、あるのだ。あるとしか言えないソンザイの光がひかりのままある。そのことに照らされてここに光っているモノ。その姿を、(つづく?)