ふとしたことで踊りと縁ができた。私が経営するギャラリーバーのお客さんにモダンバレエの斎藤直子さんがいらして、東中野の柳井真弓さんのスタジオでムーヴメントというダンスクラスを始められた。そこに遊びに出かけたのが4年ほど前のことだ。それからダンスの発表会の舞台に立たせていただいたり、自分のギャラリーバーで踊る機会が生まれた。4年前私は53歳だったが、それまで踊りは全くの未経験だたから、いきなり舞台に立つのは驚きの連続だった。

 そんなころ、柳井さんの古事記の朗読を聞いて衝撃を受けた。そして古事記を踊りたいと思ってしまった。もちろんこれは大胆な挑戦であり、素人にはあまりに荷の重い課題である。そこで以前から懇意にしていただいている能管の松田弘之さんに助っ人をお願いした。狭い空間で響きわたる能の笛は強烈な音として体に響く。そして一昨年の冬、斎藤直子、柳井真弓、加藤由美子、画家の武沢昌子、加島の5名で無事古事記を踊り終えることが出来たのだ。

 ほっとするのも束の間、今度は松田さんの方から、今年も踊りましょうと声を掛けられた。思いがけない申し出に困惑するも、では冬至の日に踊りましょうと言葉が出てしまった。思案した挙句に結局今の自分を踊るしかないと気づき、詩を一篇書いた。『求める』という詩なのだが、いざこれを踊ろうとすると踊れないのだ。言葉の意味が邪魔をして踊りの意識に入ってゆくことが出来ない。そこでお経を踊ろうと思いついた。お経なら意味がはっきりしないぶんだけ、音楽的で踊りの意識に入ってゆきやすかった。サンスクリット語を音訳した「大悲心陀羅尼」はナムカラタンノートラヤーヤー…と言った具合で意味が分からずリズムもあり何故か気に入っているお経なのだ。

 冬至の日がやってきた。松田弘之さん、大倉正之助さんをお願いして、何とも贅沢で手前味噌な会が開かれた。踊りは見れたものではなかったが異常な精神状態でこれを乗り切った。

 クリスマスの日、夜半に電話が鳴り、父が亡くなったとのことであった。臨済宗のお坊さんが呼ばれ、葬儀の中で「大悲心陀羅尼」が何度も唱えられた。松田さんの笛はここにつながっていたのか。あの当時の踊りは自分の父親の死に向かって儀式を自然としていたのだ。どうも人はどうしようもないことに出会うと、ちゃんと踊るようにできているのだ。(GalleryBarKajima店主 加島牧史)

 

花もよ-能と狂言総合誌- 2016.07.01 第26号

巻頭言

求めた。他一篇

 

松田さんから踊ることを求められた

それは求めることにつながっていた

 

 

求めた。

 

求めた。

ただ求めた。

全身で求めた。

何が求めさせるのかも知らぬまま求めた。

自分の中の他人が勝手に求めたのだ。

私が求めると、

私が遠ざかってゆくのはなぜか。

ハイデッカーは「現存在は存在からもっとも遠いものだ」と言う。

わたしという存在はいつもここに居るのに、

いざ探そうとすると遥かに遠いものでしかない、というのだ。

 

前触れもなしに、自分がくずれ落ちていった。

当たり前が、薄い皮膚のようにおおわれていた意識が、

突然固まり、薄く透明なガラスのようになった。

ガラスの意識は、ガラガラと無音の響きをたてくずれ落ちていった。

 

何もなかった。自分の痕跡も、

世界の痕跡も見つけることが出来なかった。

ただウォーンと言う響きが

太古の底から、響いているだけだった。

 

意識の断片を一つ一つ身に貼りつけ

同じ運動をただ繰り返しつづけた。

しだいに運動は傷をいやし、わたしを作りはじめた

つながりを回復すると、すぐに世界が現れた

当たり前の世界が目の前に現れた。

 

すべては変わっていた

漆黒の闇の上を歩いていることがはっきりと分かったのだ。

恐怖と、おどり出すような狂喜に襲われた

永遠がにこやかな笑顔で立っていた

ほほえみをたたえて見通していた

私はむこうにある永遠を見て苦い作り笑いをした。

手も足も出なかった。今日も明日もなくなってしまった。

ばんざいさせられた。

ひかりの上に立たされた。

真っ黒なひかりの上に立たされた。

 

 

頭上の月

 

頭上には透きとおった冬の空気の中に浮かぶ月

頭上の冬の月

足下に運河の水

橋の上にオレンジの街灯

深夜二時

自転車を横に思う男が一人

すべては休息のとき

家人は寝静まり

左手には高速道路を走るトラックの灯が通り過ぎている

 

自転車に乗っていた

天気の良い日は散歩気分で横浜から蒲田までペダルをこぐ

仕事を終えた夜中、蒲田から帰る途中にいつも休憩したくなる場所があった

東神奈川あたりの海岸側に運河があってそこに工場街へ向かう小さな橋がある

オレンジ色の街灯と夜には通るひとのない橋

全てが不要になった奇跡の空間だった

そこは安息の場になった

 

運河の水はただ満ち静かな面影をたたえている

はてしない思いを巡らせ、その水がどこから流れてここに満ちているのかを見極めようとするが

その先はどこかなど分かるすべもなく

ただ変わらぬ水の顔を眺めつづける

水は満ちることなく満ちている

 

動きのない水など存在しないと分かっているのだが

その動き、その源を知ることはできない

 

川の水は止まることなく流れつづけ

その源を求めてのぼってみたくなる

その源まで辿り着いても源は見つかったように思えない

ただ今そこに流れている水の姿こそが

源であり無限な姿なのだ

永遠の連なりのなか、無限から湧き出してくる水

 

太古から人は水辺にすわり

その不思議さに打たれてきたに違いない

いかに川がコンクリートで作られても

その上にふたをして道路を作っても

この水の自然な流れに逆らうことは不可能だ

この水を、この水で人は暮らしてきたのだから

 

川上には月

満月の水の顔は

はっきりとその表情を見せている

十歳の頃、家のものほし台にのり

深夜、紙の望遠鏡で月を見ていた

やはり冬だった

頭上の月はそのときの表情と寸分違わず私を照らしていた

この半生の煩悶をあざ笑うように

月の顔は何も変わってなかった

月にとって五十年という歳月は存在していなかった

 

人のさとりをうる。水につきのやどるがごとし。

月ぬれず、水やぶれず。

ひろきおほきなるひかりにてあれど、

寸分の水にもやどり、全月も弥天も

くさの露にもやどり、一滴の水にもやどる。

さとりの人をやぶらざること、

月の水をうがたざるがごとし。

 

山の上で月を見る者に思いを馳せた。

山の家で月に照らされた晩のことを思った

あれはいつのことだったか

人生の晩年をむかえた男と

その道の半ばを駆け上がろうともがく男が

月に照らされて黙ったその晩を思った

最後に訪れた沈黙に

二人はそれぞれの場に

立ち上がって歩を進めた

 

橋の上の思いは

水源を求めさらなる高みに向かい

山の頂上を目指し歩みを進める

山が前にあるとき 山に登る苦しい歩みがある

だが山の頂上に立ったとき山は消える

山だったものは

ただ足の下にころがる意味のない

石ころの連なりに変わってしまう

 

山の頂上に立ちさらに無窮の空を見る

無限は空間のひろがり

何も遮るもののない空

なぜこの無限は私を呼ぶのか

この茫漠とした無限に何を求められるのか

なぜ規定し得ないこの無限を無限だと言えるのか

寒気が橋の欄干から全身にしみはじめる

思ひの中にたたずむ時間は終わった

ペダルを踏み込み、スピードの中に入ってゆく

 

現代詩手帖 2016年6月号 

【追悼・加島祥造】